一生に一度だといいなあ、の帰国物語(インド・ゴア→東京)(空港での検査編)


インドから日本に帰国した。7月30日、デリーから羽田のJALの特別便はまさかの239席満席。ディスタンスも何もなし。でも、JALは搭乗口に図解ボードを表示していて機内の空気は数分ごとに入れ替わっていますよということをアピールしていた。とりあえず空気は密ではないよということね。そして、搭乗口で配られたフェイスシールドの機内での着用は義務づけられていなかった。これ、後ろがゴムで、まるで孫悟空の頭の輪っかのようにじわじわと痛くなる。デリーまでの国内線で辟易していたので、着用が義務づけられていないことにホッとする。そして、頭が痛くなるのはみんな一緒らしく、機内では、ほとんどの人が着けていなかった。じゃあ、感染予防効果ってどうなんだろうねえ。

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こっちはインド国内線。席の間は最低1席開けられてる。それがたまたま乗客が少なかったからかどうかは不明。後ろに写っているインド人のお兄ちゃんは防護服+N95マスク+手袋+マイフェイスシールド(頭周りサイズの調節ができるタイプ)。私はシールドとマスクのダブルだけでもう苦しい。苦しすぎてN95マスク、せっかく買ったのに使わなかった。
ちなみに、孫悟空の頭の輪っかは、緊箍児(きんこじ)というのだそうだ。気になって後で調べた。読めないし、書けないし、忘れそうだ。閑話休題。私たちがデリーを出る前日(7月29日)に、日本の空港での検査方法が変更された。インドから日本に帰ってきた人は全員PCR検査が義務づけられていた。これは、あの鼻から摂るやつで、結果が出るまで空港で10時間くらい待つ。ちなみに結果を待たずに家に帰る事もできた。(公共交通機関は使用不可)そこは、迎えに来てもらう友人にも、家族にも悪いなと思い、空港で結果を待つつもりだった。いよいよ空港ロビーの段ボールベッドで待機かと思って覚悟していた。そしたら、日本の空港での鼻からの PCR検査が、唾液採取による抗原検査に変更された。これは、待ち時間が10時間から2、3時間に短縮され、検査結果を待ってから入国手続きに進むというもの。感染拡大防止の水際対策としては単純に考えて、こちらの方が理にかなっている。自分のインド出発直前に変更されたので、それまで情報収集した、日本に帰ってきた時の検査状況のことはまるで参考にならないことがわかって、なんだよと思うがどのタイミングで変更されても、こういうことは起こるのでしょうがない。
ちなみにPCR検査と抗原検査は、違うものなんだそうだ。
このワードだって、コロナ前は聞いたことなかったよ。
違い→こちらを参考に。
羽田空港に着陸したのは日本時間の朝7時前。インドだと朝の3時すぎなので、もちろん眠い。検査場が混み合っているという理由で、降機まで1時間半待たされる。その時、日本語の機内アナウンスでは「しばらくお待ちくださいませ」だったのがその後に続く英語のアナウンスで「1、2時間お待たせするかもしれません」と言われて萎える。乗客は8割方日本人(目測)で、後はインド人らしかった。ほぼ鎖国状態の日本に、この人たちはどうして入国できるかわからなかった。多分、どうにかしてやっと家族のもとに帰れるのね、よかったね。お母さんと小さい子ども、というケースもいくつかあって、子どもはもれなくぐずって泣いていた。そりゃ泣くわ。インド各地からデリー空港までたどり着くだけでもそれぞれのドラマがある。そんでお母さんはもれなく、もう遠い目をしていた。泣きたいのはこっちだよね。降りたら、なんとなくみんなそれとなく距離を取りながら検査の待合室と化している、別の搭乗ゲートまで行く。それとなく、というのは、みんなくたくたに疲れていたのと満席の国際線に乗ってきて、今更ディスタンスも何も、ってのもあったんだろうか。飛行機を降りて、別の搭乗ゲートに歩いて行くのは奇妙な感じだ。
そこで並んで、一人ずつ受付をして、検査の手順の用紙をもらう。そこで手順の用紙の説明をされて、検査を行う別の搭乗ゲート(多分ね)に移動する。そこでまた並んで、ひとりずつ説明を受けて、自分の番号がついたプラスチックの試験管を渡される。「あそこの「じょうご」を一人ひとつ取って、ブースに入って試験管にじょうごを乗せて、唾液を取ってください」こんなん、検査の手順の用紙に書いておけば、いちいち説明のために乗客一人ひとりに接するリスクを防げるのにね。何しろ私たちが帰国する2日前に検査方法が変わったので、いちいち手際が悪いこと、日本クオリティとは思えない。そして、それぞれがペラペラのプラスチックのじょうごを取って選挙の投票ブースよりちょっと大きめのスペースに進む。ちなみに、ここは撮影禁止。そこで唾液を自分で試験管に入れるんだけど、1ccと線が引いてあるところまで入れるんだけどかなりそれより多い量に思えた。ただでさえ乾燥した機内で脱水している上に、この検査の前は飲食してはいけない。その状態で十分な唾液を出すのは思ったよりきつい。それは想定内なのだ。梅干しとレモンの写真がブース内に貼ってあった。日本っぽい。梅干しを知らない人が写真を見ても唾は出ないよね。なんとか唾液採取を終わらせて、試験管を提出して、私は次の列に着く。とにかく並び続けるのだ。ゴアから一緒に道中を共にしたカヨちゃん、唾液採取に何故かダメ出しをされて再度トライすることに。二度目の唾液採取を終わらせたカヨちゃんは、青ざめていた。「。。。気持ち悪い」ただでさえ脱水してたところを二回も頑張って唾液採取したカヨちゃんはフラフラになっていた。私が持っていた水が少しだけあったけどそれでは足りずずいぶん向こうにあった自販機のところに戻ろうとしたら、検疫の人に戻れないと言われた。すまなそうだった。水の一本くらい、ご自由にお持ちくださいってあってもいいのにね。ちなみに、検査の結果が出ないと入国できない。つまり、私たちが検査をしてるところはどこの国でもないのでそこで飲食を提供することには何か問題があるのかもしれない。にしても、しつこいけどさ、
水のペットボトル一本くらいどうにかできるんじゃないか?検査方法が変わる前で待ち時間が長かった時は他にどこも開いてないので、おにぎりとかお茶とか支給されてたみたいで密かにコンビニおにぎりを楽しみにしていた私たちはガッカリだった。あの、和食ジャンクフードのコンビニおにぎり、ジャンクと分かっていても帰国すると食べたくなる。検査後、ベンチがある待合室(つまり別の搭乗ゲート)に行くまでに、多分100m近い列に並ぶ。眠いのと疲れてるので膝カックンしそうだ。1時間くらい並んだかな、また違う受付で帰る場所と連絡先、帰る手段(レンタカーかお迎え。タクシー不可)を確認される。この時点でまだ結果は分からず。カヨちゃんの担当の検疫の人が、思わず「うわーまだこんなに並んでるー。。。」と呟いたので、カヨちゃんも思わず「そうなんですよ、もうずっと並んでるんですけど、せめて水の一本くらい・・・」と訴えたら「私たちも皆さんが到着するずっと前から休憩なしで働きっぱなしなんです泣」と逆に訴えられたそうだ。そうよね、検疫の個々人に責任はない。説明は、丁寧すぎるくらい丁寧にしてくれた。膝カックンしそうなくらいの疲労と眠気でやっと「待合スペース」(別の搭乗ゲート)までたどり着く。そこでやっと自販機があった。冷房で冷え切った体に冷たい飲み物しかない。ベンチで寝落ちしてしまったところに自分の番号を呼ばれてカウンターに。「はい、陰性です」と言われて、カードを渡され、またまた帰る場所と連絡先、帰る手段(レンタカーかお迎え。タクシー不可)を確認される。そして、そのカードを見せながら、入国手続きに進む。あっという間に終わる。預け荷物も、とっくにベルトコンベアから下ろしてあった。荷物の色別に仕分けしてあった。すぐ荷物が見つかるようにとのことなのねきっと。やっとこさ国際線到着ロビーに出た時は、12時くらいだった。
着陸してから約5時間が経過していた。
かかる時間も疲労具合も想定内ではあったけど、
それはもう、ぐったりだった。車を出して迎えに来てくれた友達に後光がさして見えた。着陸してから検査して結果待って解放まで5時間近く。私たちは検査方法が変わったばかりの帰国なので後から帰ってくる人はもうちょいスムーズであって欲しいなあ。でも、今恐ろしいくらい便数が少ない状態でこうなんだから便数が増えたらどんなになっちゃうんでしょう。着陸しても、飛行機の中で待たされる、ってのは避けられないかもね。陰性でも、14日間は自主隔離。ちなみに、 LINEか電話での健康確認の連絡は一切ない。陰性だとわりと放置ってのはほんとだったのかな。あくまでも、かな、だけど。自主隔離が終わってもいつもの巡業モードにはなれそうもない。先が見えないことに疲れているのは世界共通。政府は死んでも守ってくれなさそうなのでふざけんなと言える事は言いつつ、自分が今日できることを、コツコツと。マスクまた配るとかイソジンとか国会死んでも開かんとかもう痛々しい。思えば、4月かな、首相がのんびり犬を撫でてる動画を見てその時インドにいた私は、静かに悟ったのだった。「ああ、助けは来ない。どこからも来ない。」と。そこからの展開がすごかったね日本。インドも大概すごいけどね、日本帰ってきたからね私。ただいま日本。みんなに会いたいなあ。会いたいねえ。