小さいモノが好きだ。
というより、小さいバージョンの何かが好きだ。
子どもの頃、
全盛期だったシルバニアファミリー。
メインのキャラクターたちは
愛くるしく、つぶらすぎる瞳で
「どこからみても可愛いでしょ?非の打ち所がないでしょ?
参ったでしょ?参ったって言え!」と
迫ってくるみたいで、
天邪鬼だった私はどうも苦手だった。
キャラクターたちの「可愛い」の方向性がストレートすぎて、
「わかった!可愛いのは認めるからもう勘弁してください!」
と逃げ出したくなるようなオーラを発していた。
一方で、キャラクターの持っている小物たちは大好きだった。
本、とか、靴、とか、小さいティーカップとソーサーのセット、
とか、もうね
「本来は大きいものを、これ以上は小さくできないくらい小さくしてみました!」
という健気な努力がいじらしくて、
当時はなかった表現の「萌える」というポイントだらけだった。
それで言ったら、シルバニアファミリーのファミリーだって
うさぎ本来のサイズを思い切り小さくしたんだけど
思いきり可愛さをアップさせすぎたのだきっと。
子どもだからって、可愛いだけでなびくと思うなよ、
くらいに身構えてしまったのだきっと。
小物が思い切り縮小されているのにときめいたのは、
デザイン性の前に必需性があるものが
「ただ小さい」ということに興奮してたのだきっと。
どちらにしろ、我が家は子どもにおもちゃを
あまり買い与えない家だったので、
シルバニアファミリーは買ってもらえなかった。
しょうがないので、想像に頼るしかない。
小さい靴やカップの絵を描いて、切り取ってテーブルに並べたりしていた。
今考えると、私のジュエリーの
天然石に添えられている小さいモチーフはこれが原点だ。
特に、おもちゃを買ってもらえないと、想像に頼るしかないし
自分でなんとか作ってみるしかない、という試練のおかげで
今こういうことしてるんだと思う。
自分のジュエリーを「可愛い!」と言われると素直に嬉しいし、
自分でも可愛い、なんて可愛いんだろうと自画自賛しながら作ってるけど
ちょっと「ぬけた」感じを大事にしたいなと思ってる。
ぬけた感じを全面に出しすぎると安っぽくなるので
その辺のバランスを取るのが腕の見せどころ、と思ってます。
ああ、その腕を今頃ネパールで発揮してるはずだったのだけど
ネパールは今それどころじゃないようで、
カトマンズのロックダウンは規制が厳しくなった模様。
ネパールで採れる ガネーシャヒマール水晶。
ちょっと「ぬけた」出立ちの鳥は、
せいぜい5mm くらいの大きさしかありません。
良質な石に、ちょっと「ぬけた」デザインを施すのは楽しい。
デザインされるのを待っている石たちに、早く会いに行きたいな。